生活を立て直したのに、戦争でまたすべてを失いました
ウクライナ東部のルガンスク州で生まれ育ったミリチェンコ・オルガさんにとって、避難生活を送るのは今回で二度目です。初めての避難は、2014年にウクライナ東部で紛争が始まったとき。故郷を追われたオルガさんは首都キーウに避難しました。
オルガさんはルガンスクから避難した後、キーウで日本語教師の職を得て働いていました。しかし、2022年2月24日にロシアによる軍事侵攻が始まり、再び避難民となります。
「この8年間、ゼロから自分の生活を立て直しましたが、今回の戦争でまたすべてを失いました。」とオルガさんは話します。
軍事侵攻開始後、オルガさんは1週間ほど地下鉄の構内で避難生活を送りましたが、鳴りやまぬサイレンに命の危険を感じ、リュックサック1つを手に、着の身着のまま国外に脱出することを決意しました。自身の語学教室の生徒の助けを借りて、避難者用の電車が発車する駅にたどりつき、半日間立ったまますし詰めの電車に揺られながら、ウクライナ西部のリヴィウに到着しました。
地下鉄構内での避難生活も国外脱出も、ウクライナ人同士の助け合いがなければできなかったといいます。
オルガさんは、「戦争が始まるまでは自分の国について深く考える機会はありませんでしたが、母国を離れた今、自分は本当にウクライナという国と、そこに住む人々を愛しているのだと分かりました。」と語ります。
Photo: 本人提供
オルガさんの親戚はロシアとベラルーシに住んでいましたが、頼ることはできませんでした。オルガさんは「戦争の前まではとても仲の良い親戚でしたが、今ではもう、私たちは敵だと思われています。プロパガンダがこんなにも人の気持ちを変えるものだとは思いませんでした。」と肩を落とします。
オルガさんは結局、2014年の紛争でルガンスクからポルトガルに避難した友人を頼ることにしました。まずはリヴィウからポーランドへ移動し、避難民向けのバスに乗り込むと、ドイツ、フランス、スペインを経て、ポルトガルに到着しました。2台のバスは女性と子ども、ペットで満員でしたが、「極度の緊張でまったく疲れを感じませんでした。」とオルガさんは振り返ります。
最初はウクライナ国内、そして海外への避難を経験し、何度も新しく生活を立て直さなくてはならなかったオルガさんの体験は、多くの移動する人々の経験と共通しています
日本への移住を考えるようになったのは、ポルトガルに滞在していた時でした。大学時代の日本人の恩師から連絡を受け、日本に移住することを決めました。まずは仕事を探さなければならないので、恩師のアドバイスを受けながら、一般財団法人日本国際協力センター(JICE)から内定をもらいました。現在は、恩師の友人である保証人一家が経営するシェアハウスに暮らしながら、これまでの経験を活かし、就労希望者への言語サポートや外国人向けの日本語教育、そして他の在日ウクライナ避難民の支援に携わる仕事をしています。
周囲ではなかなか希望の仕事を見つけられない避難民も多いのですが、今の仕事が見つかったのは幸運だったとオルガさんは話します。
「自分は恥ずかしがり屋で自信がなく、先生が背中を押してくれなかったら、JICEの採用試験を受けてみようと思うことすらなかったと思います」と笑顔を見せます。
「日本は物価も高く、避難民の受け入れをしていないと思っていたので、当初は避難先として考えていませんでした。だけど実際に来てみると、行政から支援団体、個人に至るまで、日本ほどウクライナ避難民を手厚く支援してくれる国はないと思っています。」
そんなオルガさんは、最近は「罪悪感」にさいなまれることがあるといいます。
「避難生活を送っている私のことを可哀想と言う人もいます。だけど、今もウクライナに留まっている人に比べたら、私はとても恵まれた生活をしています。」
オルガさんの両親は、今もロシアによる支配が続くルガンスク州に暮らしています。母親とは毎日連絡を取り合っているといいます。
「ヨーロッパにいる時は毎日私の心配をしていた母も、来日後は心配をしなくなりました。でも、戦争の話題は話したくても絶対に話しません。きっと両親の心が痛むと思うからです。」
オルガさんの1日は、ウクライナ関連のニュースを読み、軍事アナリストの動画を見ることから始まります。多くのウクライナ人が死亡したというニュースが日常的に流れているなかで、数人の被害ではむしろ「被害が少なくて良かった」と思うほどに感覚が鈍ってしまったといい、「ウクライナ人は不運に慣れてしまいました」と言います。
今後の予定について聞くと、オルガさんは表情を曇らせました。
「将来の計画は何もありません。ウクライナには何もなくなってしまいました。ウクライナに平和が戻らなければどうなるのでしょうか。両親を日本に呼び寄せられたらこれほど幸せなことはありませんが、二人とももう年を取っていて、家のことや仕事のことを考えると現実的には難しいです。毎日、不安でいっぱいです。」