IOMエチオピア事務所
シレ支所長
赤尾 邦和(あかお くにかず)
Q: JPO(Junior Professional Officer)ではなく、公募ポストからIOMの正規職員になったそうですが、IOMに入った経緯を聞かせてください。
A: 私の場合、とにかくタイミングが良かったと振り返ります。前職のJICAスーダン事務所で2年間の任期を満了する直前、IOMシエラレオネ事務所で働いていた日本人職員と会う機会があり、同事務所でエボラ出血熱対策のプロジェクトを運営するコンサルタントを募集していると知りました。IOMはJICAスーダン事務所のときに連携事業を行ったこともあり、やり甲斐のある仕事だと認識していました。JICAでは保健セクターを担当していたので、選考時には、業務との親和性もアピール出来ました。トントン拍子に話が進んで、スーダンから本帰国した3週間後にはシエラレオネでの生活をスタートしていました。
国連での勤務経験ゼロから公募でポストを獲得というと驚かれますが、最初はギニアとの国境で防護服を着て検疫システムを強化するタフな仕事で、きっとあまり手も挙がらなかったのだと思います。特に緊急支援事業を行うIOMなどの機関では迅速に活動を開始する必要があるポストがあり、こうしたポストであれば国連未経験であっても中に入る可能性は高いと思います。フレキシブルに任地で活動できる体制を整えることが大事だと思います。4カ月間のコンサルタント契約から少しずつキャリアアップを重ね、2年目には正規の国際職員となりました。
Q: 主に緊急人道支援に従事しながら、IOM内外で活発に活動し、民間連携分野でも多くの支援を獲得していますが、きっかけはありましたか。
A: IOMに入った当初は、国連での経験がすごく長かったりする同僚と競争に晒される中で、自分の付加価値について模索しました。日本は国連機関にとって大切なドナー国ですので、多くの日本人国連職員が、日本の政府機関や民間企業との連携強化の役割を求められますが、そこでなんとか自分の強みを出せるよう頑張りました。
例えば、シエラレオネでの勤務時には、現地でビジネスを展開する総合商社と連携し、日本政府からも支援を受けて若者に職業訓練を提供する事業を形成したり、日本貿易振興機構(JETRO)と共に日本企業とシエラレオネのディアスポラ投資家向けの農業分野の投資促進フォーラムを開催したりして、一連の成果を、2019年に横浜で催された第7回アフリカ開発会議(TICAD7)のサイドイベントで発表しました。IOMはプロジェクト型の運営体制なので、事業資金の目途が立って、IOMの使命と役割に即していれば、相手国や受益者のために柔軟に動けると感じます。
キーパーソンに会えるならば時差を問わず迅速に時間を作りますし、フィールド視察のアテンドや細かい調整ごとも苦にならない性格です。常にアンテナを広く張って、機動性高く動くことを心掛けています。
Q: IOMでの最初の赴任地であるシエラレオネでは、どんな仕事をしていましたか。
A: シエラレオネには5年近くいて、延べ10件ほどのプロジェクトを管理しました。
まずは、エボラ出血熱への緊急対応です。感染症は「人の移動」によって拡大するので、IOMの果たし得る役割は大きいのです。”Migration Health”(移住保健)の分野はIOMの強みですが、感染を広げないためにどのような検疫体制を構築し、域外に感染を尋が得ないようにするかなどをギニアやリベリアなど周辺国を含めて調整しました。
次に、エボラ出血熱や大規模土砂災害など緊急事態に対する寄付や、国外からの医療支援を受け入れるための体制整備です。特にシエラレオネから国外へ移住している、所謂ディアスポラと呼ばれる人達から「国を助けたい」という動きが加速したので、支援を受け入れるための事業を形成し、各所との調整を担いました。
最後に、非正規移民への対応です。シエラレオネでは、パスポートなどを持たず、非正規のルートで欧州を目指す人が毎年1万人規模に上り、IOMが行う支援などで帰国しても、また密入国仲介業者の手により同じことを繰り返すケースが後を絶ちません。彼らが非正規移民として国外に出る根本原因を解決しないといけません。70%以上の若者が非雇用であることが原因の大きな理由であったため、上述の日本政府と総合商社と連携した雇用支援事業を形成し、国内で若者の支援を行い、シエラレオネで非正規ルートによる移民を減少させるための本質的な取り組みを行いました。
シエラレオネ のIOM事務所は比較的小さな拠点ですが、だからこそ、幅広い仕事に手を挙げてチャレンジできる環境でした。
Q: IOMエチオピア事務所での仕事について教えてください。
A: エチオピアにはIOMの支所が9つあり、これまで3か所を支所長として率いてきました。「人の移動」に関する課題は、同じ国でもところ変われば大きく文脈が違うのが特徴です。たとえば南スーダン国境に面する西部の事務所では難民支援対応、内戦のあった北部の事務所なら反政府勢力が多い地域への緊急支援や復興支援ですし、ジブチやソマリアとの国境から近い東部の事務所なら国外から移住してきた方々の自主的帰国支援、さらに、首都ではプロジェクトマネージャーとして複数の事業運営を担うなど、求められることも多様です。
「アフリカの角」に位置するエチオピアには、ソマリアなど近隣諸国から300万人もの避難民が発生しています。地域によっては武力衝突や気候変動の影響による干ばつなどの被害もあり、常に緊急対応を要する甚大な規模の課題を抱えています。支所の規模も様々ですが、常に数十名のスタッフと共に働いています。
Q: 2023年には、一時的にウクライナ危機への対応も兼務していましたが、どのような経験をしましたか。
A: 日本は、IOMにとってトップ10に入る大切なドナー国です。ウクライナ危機では、IOMが国連機関としてウクライナ国内で最大の人員で事業を担っていたので、特に日本政府、民間企業との連携を強化する役割が期待されて私に声が掛かりました。ずっとアフリカの仕事をしてきたので意外に感じましたが、世界が関心を向ける出来事に当事者の一人として貢献できるのは、光栄に思いました。
昨年12月18日の「国際移住者デー」には、日本の公的機関やウクライナ支援に関心のある日本企業と連携し、東京・国立競技場で開催されたサッカーのチャリティーマッチ(IOM後援)の実現のために奔走しました。このチャリティーマッチについては、テレビや新聞を通して多くの方に知っていただきました。国際協力においても今日、民間セクターの力はとても重要なのです。
Q: 10年近く危険地を含むフロントラインで勤務していますが、ワークライフバランスや健康管理で心掛けていることはありますか。
A:トレッドミルで毎朝30分はランニングし、あらゆるストレスを翌日に持ち越さないよう、意識的に気分転換をしています。また、国連機関には、治安状況を含めて赴任地の生活環境が厳しい場合、「R&R - Rest and Recuperation(休養と回復)」という制度があって、年休とは別に年に数回、現場を離れて心身を充実させることが出来ます。昨年はR&Rでの帰国時に、大阪マラソンも完走しました。
Q: IOMならではのやりがいや、組織としての特徴はありますか。
A: 例えば、難民の要件は国際法で定められていますが、移民は国際的に広く合意された定義がなく、IOMは移民や人の移動(移住)を広義に捉えています。感染症やウクライナ避難民対策など、「国際移住機関」という名前からは一般的に連想しにくい多様な課題に対応するため、2万人を超すスタッフを抱えながらも、柔軟性があると組織だと感じます。私の場合、政府機関や企業から資金援助を得て、一から自分で多くのプロジェクトを生み出すことができたのは、IOMの組織風土だからこそです。
また、プロジェクトの実施フェーズでは、他のNGOなどを使わず自前で担う場合が多いのもIOMの特徴です。そのため、自分でコンセプトノートを書いたプロジェクトを自分がマネージャーとして実施する機会が多くあります。自身が実施責任者であることで、当初描いていたことの瑕疵も理解することができるため、「何でこんな書き方したんだろう」などと振り返りながらPDCAサイクル(plan-do-check-act cycle)を回すことができるため、プロジェクトの形成能力、実施能力双方のパフォーマンスを向上出来るとも感じます。
Q:今後国際機関での勤務を志す人に、メッセージをお願いします。
A: 国際機関に関心のある人から、「そもそも公募がない」「希望と空席ポストが合致しない」という声を聞くことがあります。しかし、私の発想はまず中に入ってから、自分自身がやりたい領域の事業を形成することで、希望の仕事を作っていくというやり方です。実際の業務の中で信頼関係を作れば、次第に仕事を提案できて、自分のカラーも出せます。それが出来るのがIOMの魅力だと思います。
国連と聞くと「何をしているのかわからない」あるいは「ハードルが高い」と感じられるかもしれません。しかし、大切な局面ですぐに決断できる思い切りの良さと、少し背伸びしなければならない仕事にも挑戦して応えていくレジリエンス(強靭性)さえあれば、キャリアは広がっていくと思います。ぜひ、チャレンジしてみてください。
【略歴】大学卒業後、ICTコンサルタントとして民間企業で5年間勤務。退職後、修士号を取得し、国際協力機構(JICA)スーダン事務所等を経て、2016年にIOMでの勤務を開始。シエラレオネ(2016年~2021年)、エチオピア(2021年~現在)での勤務の他、2023年にはウクライナ緊急支援にも従事。現在はエチオピア東部のディルダワ事務所長として、30名以上のチームを率いる。