Photo: IOM Hungary 2023 / Kristóf Hölvényi

 

2023年4月 ハンガリー・ブダペスト

 

14歳のサーシャと家族にとって、ハルキウからブダペストまでの道のりは長く厳しいものでした。オリンピックを目指して9年間休みなく練習を続けてきましたが、彼のプランは、他の選手と同様に戦争によって阻まれてしまいました。

ウクライナではサーシャは水泳オリンピック代表チームの補欠選手で、全国大会に参加していました。

「毎朝5時に起きて、6時には練習を始めていました。その後学校に行き、午後にはまた泳ぎの練習です。そして家に帰ったら宿題をするという生活を、ほとんど毎日、9年間続けてきました。日曜日にだけ少し休むことができました。」とサーシャは話します。

 

サーシャと母、弟は戦況の悪化を受けてウクライナから避難しましたが、父は軍役のためにウクライナに残りました。

Photo: ​​​​​IOM Hungary 2023 / Kristóf Hölvényi​​​

 

2022年2月に戦況が悪化すると、サーシャと家族は、故郷のハルキウを離れるという難しい決断をせざるを得なくなりました。最初は近くの村で避難先を探したけれども、戦争がすぐに終わる見込みがないとわかると、サーシャと母、弟はウクライナを離れました。父は軍役のために残りました。「ウクライナを離れて、もう1年ほど父に会っていません。」とサーシャは言います。

ドイツに到着後も、サーシャと家族の生活環境は厳しいものでした。「とても大変でした。私たちはみんなお腹が空いていて、若い人もお年寄りも、健康な人も病気の人も、いろんな人が一緒にいました。」とサーシャは振り帰ります。サーシャと家族は、2022年3月にハンガリーに到着するまで、避難を続けました。

最初の3ヶ月は、母が食肉工場で仕事をみつけたのでバボルナで暮らしました。30キロほど離れたタタに着くと、サーシャと家族はIOMの職員に出会い、ブダペストで住居を得るための支援を受けました。彼らは昨年7月からブダペストに住んでいます。

 

IOMはサーシャとその家族がブダペストで住まいを探す支援をしました。彼らは今もブダペストに暮らしています。

Photo: IOM Hungary 2023 / Kristóf Hölvényi

 

サーシャにとって、ウクライナを離れることはとても辛い経験でしたが、ハンガリーでの生活は新たな出発でもあります。トレーニングと競技を続けるために地元の水泳チームをみつけ、彼の母はパン屋での仕事をみつけました。また毎朝早起きして、トレーニングをする生活が戻ってきました。トレーニングの後は、弟を幼稚園に送り、学校に向かいます。放課後はまた、水泳のトレーニングをします。サーシャは、「トレーニングをしていると忙しくしていられるし、戦争のことも忘れられるんです。」と話します。

 

サーシャはハンガリーでの新しい生活に慣れて、競泳ウクライナ代表としてオリンピックでメダルを獲得することを夢見て練習に励んでいます。

Photo: IOM Hungary 2023 / Kristóf Hölvényi

 

サーシャはブダペストでは、2人のハンガリー人トレーナーと練習しています。母国での練習とは少し違うものの、その厳しさは変わりません。毎日5キロ泳ぐのに加えて、ウェイトトレーニングも行います。サーシャは戦争によって避難したものの、オリンピックに出てウクライナのためにメダルを獲得するという長年の夢を持ち続けています。

それまでの間、サーシャはブダペストでウクライナ人学校に通いながら、オンラインでの学習も続けて、ハンガリーの言語や習慣も学んでいます。「ハンガリー語は今は難しいけど、頑張ります。すぐに馴染むことができるし、もう友だちもできました。電気スクーターが好きです。速いし、友だちと一緒に街のいろいろなところを探検できるから。」とサーシャは笑いながら言いました。