ベトナム 看護職を経て、公衆衛生面からの支援 2022年6月
 

IOMベトナム事務所 移住保健・事業形成オフィサーMigration Health Project Development and Implementation Officer

梶 藍子(かじ あいこ)

 

プロフィール

看護師として国立国際医療研究センターで勤務。その後タイのミャンマー移民、難民のための診療所、メータオ・クリニックにて医療ボランティア活動を行う。NGOメータオ・クリニック支援の会の立ち上げメンバーとして日本国内からミャンマー移民、難民を支援。タイのマヒドン・オックスフォード大学熱帯医学研究所のショクロマラリア研究所でも勤務。米国の大学院にて公衆衛生修士号及び博士号を取得。2018年1月よりJPOとしてIOMベトナム事務所に配属。2020年1月よりIOMベトナム事務所の正規職員として勤務。

看護職を経て、IOMベトナム事務所で公衆衛生の専門家として勤務。ベトナムと日本をつなぐプログラムも手掛けていて、今回は日本への出張に合わせてインタビューを行いました。(2022年6月 インタビュー実施)

 

Q(IOM駐日事務所):今回の訪日の目的について教えてください

A:日本で働くベトナム人技能実習生に関するプログラムの一環で訪日しました。ベトナムからは多くの労働者が海外に働きに出ていますが、一番の出稼ぎ先は日本です。ただ、日本で働くための基礎的な知識を持っていなかったり、利用できるはずの制度や権利を知らなかったりするために、過酷な状況に置かれている人も多くいます。そうした人たちの助けになりたいと、IOMベトナム事務所は、ベトナム政府と共同で在日ベトナム人技能実習生向けの健康ハンドブックを作成しました。今回はこのハンドブックの普及に向けた協力を求めるための訪日です。厚生労働省やベトナム大使館、日本で働く実習生との面会などを盛り込みました。
 

Q:日本で働く実習生の現状はどのようなものでしょうか

A:非常に厳しい状況に置かれている実習生もいると認識しています。外国での生活はどんな人にとっても大変な部分があると思いますが、例えば、寮に住む実習生が費用を気にしてエアコンを使わずに熱中症になるケースもありますし、工場などのライン仕事で水を飲むとトイレに行きたくなって仕事に影響するから暑くても水分を取らないというケースもあると聞いています。また、借金をして来日したのにもかかわらず、解雇され鬱になり自殺してしまったケースや、ストレス発散のためお酒に依存し出社できなくなり解雇されることもあると聞いています。 また、制度をうまく利用できていない現状もあり、例えば技能実習生は自国で産休を取った後に日本に帰ってこられると法律で決まっているのに、帰って来ない人が多くいます。これは、仕組みが正しく伝わっていない可能性があります。また、言葉の壁、ベトナムとは異なる日本での医療機関への受診方法や健康保険の使い方について理解していない実習生もおり、受診することをためらうケースも多々あることがIOMベトナム事務所の調査でわかりました。こういう現状があるにも関わらず、ベトナム人にとって日本で働くことは憧れなのです。日本の受け入れ環境が整っている必要があると思います。
 

Q:技能実習生を支援しようと思ったきっかけはありますか

A:日本でも広く報道されていますが、働くベトナム人女性の孤立出産や中絶などリプロダクティブヘルスに関するニュースを日本やベトナム国内の報道でもたびたび目にしました。IOMベトナム事務所唯一の日本人として、この悲劇が起こる前に公衆衛生の分野から介入したいと考えたのです。避妊をするとか、病院に行くとか、誰かに助けを求めることが出来ていたら悲劇は防げていたはずです。
 

Q:他にはどのようなプロジェクトを担当していますか

A:1つは結核に関するプログラムです。ベトナムで結核と診断されたカンボジア人が、診断書を持ってカンボジアに移動できるように支援をしています。ベトナムとカンボジアは国境の往来が多いですが、結核の患者も多いので広がりやすいのです。もう1つは人の往来の再開に向けたプロジェクトで、これは日本政府から支援をいただいています。ベトナムにある5つの国際空港と6つの陸路を対象に、新型コロナウイルス感染症をはじめとした感染症対策をしたり、セミナーを開いて対応力を上げたりしています。

結核に関するニーズ調査のためにカンボジアと国境を接するベトナムのアンザン省にある診療所を訪問。左2番が筆者(写真:IOMベトナム事務所提供)
結核に関するニーズ調査のためにカンボジアと国境を接するベトナムのアンザン省にある診療所を訪問。左2番が筆者  Photo: IOM 2022

 

Q:これまでのキャリアについて教えてください

A:中学時代、ピューリッツァー賞を受賞した「ハゲワシと少女」という写真を学校で勉強して、ショックを受けたことが国際協力を目指すきっかけでした。そして、高校時代に、国際協力をしたいと先生に相談して、医療従事者としての技術を身に着けたうえで国際協力に携わりたいと思うようになりました。 その後、看護学校を卒業してから、3年間ほど国立国際医療研究センターの病棟で働いていました。しかし、国際協力の現場で働きたい気持ちが高まり、病院を辞めてタイに飛びました。タイでは、ミャンマーとの国境の街にある「メータオ・クリニック」という難民診療所で、国際医療ボランティアとして2年間働きました。軍事政権による迫害や弾圧から逃れてきたミャンマー人、貧困によりミャンマー国内では医療を受けられず、タイで治療してもらいたいとやってくるミャンマー人を対象に、無料で診察をしている診療所です。日帰りで診察を受けに来る人や、出稼ぎで来ている人、様々な背景を持った人がいました。ときには、パスポートがないために強制送還されたり、賄賂を払って入国させてもらったりする場面も目の当たりにしました。生まれた国が違うだけで不当な扱いを受けてしまう人がいるのであれば、そういう人たちの役に立ちたいと思うようになりました。
 

Q:どのようにしてIOMに入ったのですか

A:タイにいたとき、1日何千人もの患者がいるなかで、医療ボランティアとして診られるのは20人くらいだったので、数の限界を感じていました。マスの目で見た方が効果的に疾病を予防できると思い、公衆衛生を勉強したいと考え、米国の大学院に入学しました。移住と健康を専攻に、公衆衛生の修士号と博士号を取得して、2017年にJPOに合格し、翌年からIOMベトナム事務所で働き始めました。
 

Q:なぜIOMで働きたいと思ったのですか

A:IOMは現場に近く、また政策にも大きく関わっている機関だと思います。タイにいたとき、IOMが渡航前研修をしていたり、患者の移送システムを支援していたりしていました。それを見て、いつか自分もここで働きたいと思ったのです。

2タイのメータオ・クリニックで診療に携わる筆者(写真:筆者提供)
2タイのメータオ・クリニックで診療に携わる筆者(写真:本人提供)

 

Q:1日のスケジュールを教えてください

A:ベトナムでは3歳の娘とミャンマー人の夫の3人で暮らしています。夫は国際NGO時代の同僚で、博士課程在学中に結婚しました。朝は7時に起きて娘の幼稚園の支度をして、8時に娘を送り出してから、私は8時半に勤務開始です。午前中はメールチェックから始めて、現地スタッフの事業の進捗を聞いて相談にのったり、上司と会議したりします。お昼は国連事務所のカフェテリアで、同僚や上司と話しながらご飯を食べます。午後はドナーレポートやプロポーサル、ニーズアセスメントの読み込みと作成、そして海外とのオンライン会議をして、あっという間に一日が終わります。6時半に帰宅してからはまず娘をお風呂に入れて、7時半に夕食です。夫がご飯を作ってくれるので助かっています。少し家族団らんをした後、娘を寝かしつけて、10時からはニュースチェックや私用のメールチェックをし、11時に寝るような毎日です。1分1分が大事ですね。
 

Q:最もやりがいを感じたのはどのような点ですか

A:ベトナム事務所で働き始めたとき、公衆衛生のプログラムはなかったのです。その0を1に変えられたことが嬉しいです。多方面に関係するプログラムなので、保健省だけではできません。外務省、労働省、公安省の入国管理局など、いろんな関係者を巻き込んで、保健大臣の承認を得て移民の健康に携わるワーキンググループを立ち上げることができました。当初IOMベトナムで公衆衛生事業に従事するスタッフは私1人だったのに、4年半でローカルスタッフ、インターン、コンサルタントを含め10人くらいのスタッフが関わるような大きなプログラムにすることができました。 最も難しかったのはどのような点ですか 関係づくりです。ベトナム事務所では公衆衛生の専門家は自分だけで、頼れる人がいませんでした。だからまずはIOMが保健医療をしているというアピールをしなければいけませんでした。他の国連機関に協力してもらってワーキンググループに入れてもらったり、アジア開発銀行(ADB)がベトナムの保健省とともに移民を含めたメコン地域の保健支援をすると耳にしたら、IOMができることを教えてくださいと保健省へ手紙を出したり。本当に手探りでした。初めは疑わしい目で見られることもありましたが、徐々に関係を構築していくことができました。
 

Q:最も難しかったのはどのような点ですか

A:関係づくりです。ベトナム事務所では公衆衛生の専門家は自分だけで、頼れる人がいませんでした。だからまずはIOMが保健医療をしているというアピールをしなければいけませんでした。他の国連機関に協力してもらってワーキンググループに入れてもらったり、アジア開発銀行(ADB)がベトナムの保健省とともに移民を含めたメコン地域の保健支援をすると耳にしたら、IOMができることを教えてくださいと保健省へ手紙を出したり。本当に手探りでした。初めは疑わしい目で見られることもありましたが、徐々に関係を構築していくことができました。
 

Q:関係機関と連携する際に心がけていることはありますか

A:それぞれの立場のニーズを把握することが大事です。受益者の声を政府に届けることがIOMの役割の1つですが、両者のニーズが一致しなければプロジェクトはできません。例えば、感染症の最中にあって、人の往来を再開するためのプロジェクト。ベトナムへの投資額では、日本がトップなのです。工場をはじめ、ベトナムで事業を展開している日本企業は2,000社にのぼります。そうしたときに、人の往来を再開することはベトナムにとっても日本にとっても利益がありますから、日本政府の支援を受けることができました。 もう一つ大切なことは、根拠に基づいて話すことです。そして根拠(エビデンス)を得るためにはたくさんの人の声を聴かなければいけません。受益者や現場で働く人、旅行者やビジネスマン。声を聴いて、ニーズアセスメントをしっかりと行うことが求められます。

3ワーキンググループのメンバーとともにコロナ禍における移民の声についてベトナムのハノイでトークショーを開催。右3番が筆者(写真:IOMベトナム事務所提供)
3ワーキンググループのメンバーとともにコロナ禍における移民の声についてベトナムのハノイでトークショーを開催。右3番が筆者
Photo: IOM 2022

 

Q:私生活とのバランスはどのように取っていますか

A:私生活とのバランスは国連職員に共通する課題の1つだと思っています。私の場合は、家族の帯同を許されている国にしか赴任できません。子どもの安全が守られて、何かあれば病院に行けるような国です。実は、IOMベトナム事務所では、既婚で子供がいる女性の国際スタッフは私が初めてでした。他の職員を見ていても、やはり配偶者は専業主婦であったり、オンラインで仕事をしていたりするような人が多くいます。私も夫と結婚する前に、「私はこういうキャリアを積みたいので、ついてこられないなら結婚しない方がいい」という話をしました。夫はすんなりと受け入れてくれて、私のキャリアを支えてくれています。心から感謝しています。
 

Q:今後はどのようにキャリアを築いていきますか

A:これからもIOMで移民や健康に関わる仕事を続けていきたいと思っています。機会があれば、ウクライナの周辺国など、緊急援助や難民を受け入れているような地域にも行きたいです。そして、子どもが大きくなったら、イラクやアフガニスタンなど、より危険を伴う地域での活動もしていきたいと考えています。 移住をめぐり日本の人に伝えたいことはありますか? 日本でもコンビニではたくさんの外国人が働いていますし、外国人は自分たちが思っているよりも身近にいるということを意識してほしいと思います。1人ひとりの行動が移民に優しい国を作ることにつながります。例えば孤立出産をする外国人労働者も、1人でも日本人の友達がいればきっと悲劇を防げたと思います。移民は社会に貢献している重要なグループで、健康な移民が健康なコミュニティを作っています。
 

Q:移住をめぐり日本の人に伝えたいことはありますか

A:日本でもコンビニではたくさんの外国人が働いていますし、外国人は自分たちが思っているよりも身近にいるということを意識してほしいと思います。1人ひとりの行動が移民に優しい国を作ることにつながります。例えば孤立出産をする外国人同労者も、1人でも日本人の友達がいればきっと悲劇を防げたと思います。移民は社会に貢献している重要なグループで、健康な移民が健康なコミュニティを作っています。
 

Q:国際協力を志す人へのメッセージをお願いします

A:現実的な部分で言うと、ライフバランスが難しいので、国連やNGOを問わず、結婚前に緊急支援に関わることをお勧めします。そして、もう1つが、原点に戻ることです。人生の中で仕事は大きなウェイトを占めるものですから、日々忙殺されて、どうしてこんなに働いているんだろうと考えたときに、答えを持っていることが大切です。私にとっては、診察を受けにきたミャンマー人が国境でタイ警察に不当な扱いをされているシーンであったり、HIVで昏睡状態にある母親を子どもが看病しているシーンであったり。そのときの気持ちを忘れないことです。