日本 ソマリアやイラク、ジュネーブ本部での勤務を経て駐日代表へ 2023年2月 

 

IOM駐日代表 

望月 大平(もちづき だいへい)

プロフィール

慶應義塾大学卒業後、米シラキューズ大学マックスウェル行政大学院にて修士号を取得。NGO職員や外務省在外公館専門調査員を経て、JPO試験に合格し、IOMジンバブエ事務所での勤務を開始。ソマリア、イラクでの緊急人道支援に携わった後、ジュネーブ本部にて政策調整業務に従事。2020年9月より現職。

(2023年2月インタビュー実施) 

 

Q(IOM駐日事務所):国際機関で働こうと思ったきっかけについて教えてください

A:移民や難民、国内避難民を支援したいと思うようになったのは高校生の時でした。私は小学校の頃からずっとラグビーをしていたのですが、もともと海外志向が強かったこともあって、本場の国で自分の力を試したいという思いで高校からニュージーランドに留学しました。高校の代表として試合に出ていたのですが、当時はまだアジア人差別も平然と行われている時代でしたし、特に試合中に汚い言葉でいろいろ言われることもありました。もちろん応援もすごいのですが。そうして自分自身がマイノリティの立場に立った時、そういう人たちの気持ちが分かって、どのような支援ができるか考えるようになりました。それが原点だったと思います。ですので、私の場合は当初から国際機関を目指していたというよりも、自分が興味のあることを研究したり、NGOや大使館で働いたりするなかで、最終的に自分のやりたいことを実現できる場所はどこかと思った時に国際機関にたどりつきました。

 

Q:どのようにして国際機関で働くようになったのでしょうか

A:ニュージーランドの高校を卒業した後、大学は慶應義塾大学に行き、国際関係法を学びました。卒業後すぐ渡米し、米シラキューズ大学のマックスウェル行政大学院で国際関係学を専攻しました。国際紛争が頻発していた時代だったので、紛争解決法について研究しました。その後はまず、日本紛争予防センターというNGOのスリランカ事務所で1年半ほど、プログラム・オフィサーとして勤務しました。当時のスリランカではまだタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)という独立派が自治権を持って政府と対立していて、またスリランカは多民族・多宗教が混在する社会ですので、民族融和事業に取り組みました。それから、在ウィーン日本大使館の専門調査員として採用され、旧ユーゴスラビア諸国における経済協力を担当しました。その後、JPO試験を受けて、合格しました。スリランカや旧ユーゴスラビアで働くなかで、IOMは移民などの被益者と近いところで仕事をしている印象が強かったので、派遣先はIOMを希望しました。

 

Q:JPOではどのようなプロジェクトを担当しましたか

A:2008年から約4年間、ジンバブエ事務所に赴任しました。IOMでは国事務所でプロジェクトを作り資金調達をしていくので、私は案件開発の専門家として勤務しました。当時のジンバブエは経済危機によるハイパーインフレーションが起こっていて、さらにコレラも大流行して大勢の方が亡くなっていくような状況でした。IOMは、コレラ対策として周辺国との国境地帯への支援を実施しました。また、植民地時代から白人が経営していた大規模農場を政府が強制的に押収する政策がとられていたので、結果として大規模農場で働いていた人たちが失業してしまっていました。こうした移動を強いられた方々への支援も実施しました。ジンバブエ事務所でJPOの契約期間終了時に正規職員として採用されました。


JPOで派遣されたジンバブエにて(本人提供)

 

Q:その後のIOMでのキャリアを教えてください

A:私は緊急人道支援を中心に取り組んできたので、危険な国に赴任することが多かったです。ジンバブエの次はまずソマリアに行きました。当時は国内の治安が非常に悪く、テロ事件が頻発しているような状態でしたので、隣国ケニアのナイロビ事務所に赴任し、月の半分ほどソマリアに出張する形をとっていました。また、縦に長い国で、地域ごとに自治政府もあり、地域間をつなぐフライトもかなり限られていたので、一度ナイロビに戻ってから各地域に赴く必要がありました。ソマリアでは自然災害や紛争で被害を受けた人々への緊急人道支援や、青年層や戦争未亡人を対象にした職業訓練を行う等の支援をしました。

ソマリアの次はイラクです。きっかけはイラク・シリア・イスラム国(ISIS)との抗争によって生まれた膨大な国内避難民の支援でした。IOMでは、大きな紛争や自然災害が発生した時、全世界からエキスパートを集めてきて、なるべく早期に支援体制を整備することになっています。私もイラクの前にもパキスタンの洪水被害支援や、フィリピンの台風被害支援で短期の緊急支援任務に就いたことがありました。イラクにおける緊急人道支援の規模は特に大きかったので、プログラムマネージャーとしてそのまま残ることになり、ソマリア事務所から異動しました。

3年ほどいた後、ジュネーブの本部に移りました。それまでずっと緊急支援に従事してきましたが、ソマリアやイラクのような危険度が高い勤務地で長期間勤務したということも考慮され、当時の事務局長に呼ばれて、機関内の政策調整を担当することになりました。IOMはそれぞれの国で移民・移住に関する様々な政策提言をしていますが、それを集約できていなかったので、各国事務所と調整しながら政策プラットフォームを作る仕事を3年間していました。その後、駐日事務所の代表になり、現在に至ります。


ソマリアにて緊急人道支援活動に従事(本人提供)

 

Q:特に印象に残っているプロジェクトはありますか

A:イラクにいた時、ISISが占領している都市をイラク軍と連合軍が奪還していく軍事作戦が行われていました。最後にイラク第二の都市のモスルを攻撃する時、100万人が紛争から避難してくると言われていました。ただそれだけの避難民を保護できる施設もなく、かといって軍事作戦を待ってもらえるわけでもない。イラク政府は必死で一時保護施設を作り始めていましたが、国際機関はキャンプを作ろうと思っても、国際的な基準が高くて、大きなキャンプを作るためには数カ月くらいかかります。だけどそれでは遅いんです。結局、当初は基準を満たしていなかろうと、何はともあれ受け入れ先となる緊急避難所を作って、避難民を受け入れて、それから国際的なキャンプの基準に達するレベルまで環境を徐々に改善していくという手法をとりました。これはIOMだからこそできた柔軟な対応だったと思っていますし、私が担当したなかでも最大のプロジェクトでした。最終的には政府からも避難民からも感謝されましたし、国連機関に良い前例が作れたことは非常に意義深かったと思っています。

 

Q:前例のないプロジェクトを進めるにあたり難しかった点は

A:避難所の建設もIOMだけでは作れないんです。例えばトイレやシャワー等の水・衛生関連施設の設置は、国連児童基金(UNICEF)がリードですので、協力してもらわないといけません。また、土地は政府に提供してもらうものですし、避難所を守るための警備を派遣してもらうことも必要です。周りの人を説得して、協力を取り付けるのは大変労力が必要なことです。

緊急支援では予期しないようないろんな問題が起こります。例えば過去ないような大雨が2日降り続いてテントが浸水するとか。そうすると、政府関係者が怒って、その避難所は閉めると脅されたりもします。そういうことの連続でした。また、国連機関のなかで緊急避難所のような前例を作ると責任問題にもなるという意見も出ました。でも、当時イラクの国連の緊急人道支援をまとめていた調整官がとても理解を示してくれて、そのおかげで他の機関も説得することができたと思っています。


イラクでは抗争による国内避難民を支援(本人提供)

 

Q:避難民の方々との触れ合いはありましたか

A:建設された避難所の運営もIOMの仕事だったのですが、10万人規模の施設でしたので、各地区でリーダーを決めたり、問題があった時には改善をしたりと、町村の運営みたいな面もありました。私はこのプロジェクトの責任者として週に1回はすべての地区を回り、避難民の方々の意見を聞き運営や管理に役立てていましたが、その時に感じたのが彼らの生きる力です。支援機関に頼るだけではなく、キャンプ内でビジネスチャンスがあるだろうという要望があり、マーケットスタンドを作りました。すると、どこから仕入れてくるのか、食べ物を売ったり、床屋を始めたり、ビューティーサロンを開いたりする人が出てくるんです。全部頼って生きていくのではなくて、自分たちの力で生きていきたいという強い思いに感動しました。

 

Q:危険な地域への赴任が多いですが、心掛けてきたことはありますか

A:緊急人道支援を中心にやってきましたので、自分の仕事はそういう場所にこそあると思っていました。もちろん、体力・心理的な負担は大きいです。自分自身が危険な場面に接することもあるし、だれかが襲われた・誘拐されたというような話も聞くし、仕事だけではないプレッシャーがあります。そういう状況下における活動では、神経が興奮状態のままになりやすく、睡眠がうまく取れなくなるようなこともあります。私もソマリアから帰国休暇で日本に戻った際、突然背中が痛くなって、体の緊張が取れなくなりました。明け方にビシャビシャに汗をかいて起きたり、夕方にがたがた震えるほど寒気がしたり。緊急支援の場では長時間働いてしまうので、夜は携帯を見ないようにしたり、定期的に運動をするとか、意識的にオンとオフの切り替えを行うなど、自己管理能力を高める努力をしてきました。

 

Q:IOMの役割はどのようなものですか

A:IOMは国連機関の中で唯一人の移動に関する専門機関で、幅広い役割を持っています。一つ目は緊急人道支援等の直接支援。戦争から逃れてきた人への包括的な支援であったり、移民や難民の人たちを安全に移動させる活動ですね。第三国定住といって、例えばイラクからアメリカへの再定住が決まった難民の方々を出発前から目的地まで安全に渡航させるなどのオペレーションもあります。二つ目は大きく言うと移民や避難民の権利の保護とそのための各国政府への支援です。政策的なアドバイスや、国境管理システムの改善のような技術協力など、人の移動に関わるすべての分野で活動しています。そして三つ目は、国際機関として移住に関する政府間の対話や協力を促進するための場を設けたり、調査・研究をすることです。国際会議の開催であったり、移住に関する国際合意を各国政府が履行するための協力をしていったりすることが挙げられます。この三本柱で動いています。

 

Q:そのなかで駐日事務所の仕事とは

A:駐日事務所はインドシナ難民危機の最中にあった1981年、難民が一時的な保護を受けていた日本から第三国への再定住を支援するために開設された経緯があります。

現在の役割の一つは資金調達です。日本はIOMのトップドナーの一つですから、日本政府にIOMの活動を理解してもらい資金を拠出してもらうと同時に、日本政府からの要請等をIOM本部に伝え、良好な関係をさらに強化していくために努力しています。その一環として毎年、政策協議を行ったり、国際フォーラムを開催するなどの協力を行っています。

もう一つは日本にいる在留外国人への直接支援です。不幸にも人身取引被害にあった外国人や、さまざまな理由から在留資格を失ってしまった外国人の自主的帰国・再定住支援や、難民が日本に定住するための支援、そして移住労働者の権利を守るために企業等と連携した活動等を行っています。

また、日本に90日以上滞在する予定の海外の方に、渡航前に結核スクリーニングを義務付ける政策の実施に向け、日本政府とともにデータベースの構築も実施しています。

 

Q:IOMは先進国でも事業を展開している珍しい国連機関ですが、その可能性についてどのように考えますか

A:まず、もちろん、先進国は行政機関もしっかりしているので、途上国に比べると国際機関の支援が求められる場面は少ないです。IOMに限らず、国連機関は各国政府からの要請を受けて事業を行うので、まずは関係性を深めて、協力できる分野を探っていくことが大切です。対処する課題に対する共通認識がないと先進国での事業は生まれません。ただ、移住を扱うIOMとしては、やはり移民の出身国と受け入れ国の両方で仕事をしていかないといけないと思っています。受け入れ国は通常、経済的に豊かであったり雇用機会がある国が多いので、必然的に先進国になります。移住労働者の権利を守るために国際的な労働基準について提言を行ったり、日本であれば、外国人の数は増えているけれど今後どのような共生社会を作っていくかについての国民的議論がなされていないので、駐日事務所としては市民社会、教育機関や研究機関などを通してそのような議論を促進する機会を作っていくことが重要だと思います。

 

Q:IOMが国連に加入して変わったことはありますか

A:IOMは2016年に国連の関連機関となりました。その頃、私はイラクにいましたが、IOMはそれまでも緊急人道支援において大きなアクターでしたし、現場では国連カントリーチームの一員として活動していたので、支援現場においては大きな変化はありませんでした。影響があったのは本部の方だと思います。国連への報告義務の増加に加え、それまではIOM独自の柔軟な対応を取ることもできましたが、国連機関になるとIOMだけで決定するのが難しくなりました。これからはIOMの良い部分を残しつつ、国連全体への貢献へと繋げていきたいと思っています。

 

Q:これからの国連の使命とは

A:193カ国の加盟国が一堂に会せる舞台は国連以外にありません。もちろん、安全保障理事会の改革がニュースになっているように、改善すべき点はあるでしょう。それでも、ロシアのウクライナ侵略に象徴されるように世界中で対極化が進んでいる時代にあって、すべての国が同じ力をもって意見を表明することができるのは国連ですし、人道危機において大規模な支援や、当事者国間の調整を行える国連の重要性は今後増していくと思います。人道支援や持続可能な開発目標(SDGs)の実現に向けた開発支援など、多大な貢献をしてきているのも事実ですから、これからも世界をリードしていく重要な使命を担っていると考えています。

 

Q:その中でIOMの使命は

A:まず、移民の権利を守ること。人の移動がもたらす社会経済への貢献の重要性を伝えていくこと。そして、安全で秩序ある正規の移住を促進していくことです。また、この2、3年間は新型コロナウイルス感染症によって人の移動が極端に制限されていましたが、将来的にパンデミックの最中にあっても人の移動を止めなくてもいいようなシステムを各国と協力して作っていくことも大切だと思っています。

 

Q:今後はIOMでどのような仕事をしていきますか

A:駐日代表もそうですが、IOMの各国事務所の代表の仕事は非常にやりがいがあるので、これからもいろいろな国で政府と移民の架け橋となる仕事を続けていきたいと考えています。また、これまで勤務した事務所において、希望する現地で採用された職員が国際職員になるためのサポートをしてきました。そのような可能性があるところにもIOMの良さがあると思っていますので継続していきたいです。

 

Q:世界中を回る仕事ですが、ご家族はなんと仰っていますか

A:妻はありがたいことに全面的に協力してくれています。妻とは大学時代に知り合って結婚しましたが、この仕事は家族のサポートがなければ続きません。イラクは家族の帯同が認められていないので一緒には行けませんでしたが、その他の赴任地には一緒に来てくれています。もともと妻は福島の農家の出身で、外国の地でも野菜を育てたり、新しいことにチャレンジしたりと、どの国でも順応して楽しみながら支えてくれているので、本当に助けられています。

 

Q:最後に、移住や移民について日本に住む方々へのメッセージをお願いします

A:都市部においては外国人がいることが当たり前になってきていますがが、まだまだマイノリティであることは事実です。そういう人達が困っている時には、一人の人間として気にかけてあげてほしいし、相談に乗ってあげてください。日本もこれからますます多様化・多文化共生の社会になっていくと思うので、日本人も外国人もお互いへの理解を深める努力を続けてほしいと思っています。

 

他の日本人職員フィールドレポートはこちら