IOM ニジェール事務所
Protection Officer (Focused on Health)
澤屋 奈津子(さわや なつこ)
【略歴】日本の大学で仏語はじめフランスについて、イタリアの大学で幼児教育について学ぶ。インターナショナルスクールや、セネガルの乳児院、在モーリタニア日本大使館等での勤務を経て、2014年にはIOMモーリタニア事務所でコンサルタントとして勤務。米国の大学院で母子保健の修士号を取得後、2017年より現職。
Q:現在の専門分野と、学生時代の関心について教えてください。
A:特に公衆衛生や幼児教育を専門にしています。今振り返ると、高校時代から母子保健には関心がありました。当時は助産師に憧れていましたが、看護学部への進学は経済的な理由から断念し、高校を卒業したらすぐ働こうと考えていました。すると先生方が、働きながら夜間学部に通うことを勧めてくださいました。高校時代には米国に留学し、語学が大好きだったので、昼間は英語力を活かして、語学学校やコールセンターなどで働きながら、公立大学のフランス学科を卒業しました。在学中には、教員免許も取得しました。
Q:その後、イタリア留学のきっかけは何でしたか?
A:卒業後は上京し、インターナショナルスクールの事務方として5年弱働きました。この施設では、当時まだ日本では珍しく、イタリア発の「レッジョ・エミリア・アプローチ」を採用していました。イタリアは他にもモンテッソーリ教育など有名な教育法を編み出していますが、ここで創造力をはぐくむ手法に感銘を受けたのが、イタリアで幼児教育を学んだきっかけです。留学のための奨学金を得ることができたこと、そしてボローニャ大学がレッジョ・エミリア市のある州にあったことからボローニャ大学への留学の、決意が固まりました。
Q:20代はヨーロッパや教育と縁が強かったようですが、その後、国際協力の道に進んだ理由は何だったでしょうか。
A:イタリアの教育課程を終える時、奨学金プログラムの支援でフィールドワークに行く機会に恵まれました。私は、ジンバブエ、セネガル、そしてコンゴ共和国の乳幼児向けの施設で過ごし、その中で最も印象的だったセネガルの乳児院には、再度赴いて1年半ほどスタッフとして関わりました。イタリア国内にもたくさん実習先がある中、先生方にはなぜアフリカまで行くのかと驚かれました。アフリカの国々の子どもたちは、0歳台の授乳期に十分に母乳を与えられず、栄養が不足するような過酷な環境に置かれています。そうした子どもたちに、地域や国の状況が大きく影響しているのを実感し、社会背景にも携わりながら子どもの分野に貢献していきたいと思いました。
Q:その後、セネガルの隣のモーリタニアで、日本大使館とIOMで働いたそうですね。当時のことを教えてください。
A:イタリア時代に知人の紹介で、外交官の現地通訳のサポートを単発で担いました。これが海外の日本大使館での仕事に興味を持ったきっかけです。2011年よりモーリタニアの在外公館派遣員として働きました。日本を発った直後にちょうど東日本大震災が発生し、モーリタニアに到着した翌朝から、どのアラビア語の国際ニュースも日本の話題で持ち切りだったのを覚えています。海外で本格的に働くようになって修士号が必要だと感じ、任期満了後2015年秋からは、
ロータリーの平和フェローシッププログラムでアメリカの大学院への進学が決まっていました。大使館の任期を満了したタイミングで、IOMモーリタニア事務所から声が掛かり、留学までの9カ月間、コンサルタントとして勤務しました。当時の上司とは、それ以前に全く別の場所で会ったことがあり、ここでも不思議な縁に導かれたように思います。
Q:現在のIOMニジェール事務所での仕事について教えてください。
A: サヘル地帯の中心に位置する内陸国のニジェールは、貧困などの理由で同国を後にする人々が多数いるだけでなく、西アフリカからヨーロッパ大陸を目指す人々の経由地として、多くの移民や難民が押し寄せる「アフリカの移民大国」です。特に隣国アルジェリアとの国境には、ニジェールを含む西アフリカからアフリカ北部やヨーロッパを目指す人々が毎月何千人と強制送還されてきます。彼らは高温で乾燥した場所に、十分な食べ物や寝床もないまま暮らし、衛生的なリスクにも晒されています。「そんなことが本当に人間に起こるのか?」と胸が締め付けられるような話も見聞きします。私はProtection Officerという肩書で、「移動する人々」を保護するのが役割ですが、特に保健領域で、政策形成への働きかけや、衛生状況の改善や感染症の予防・対策といった取り組みを進めています。
IOMニジェール事務所の同僚たちと 写真:本人提供
Q:IOMならではのやりがいや、組織としての特徴はどう感じますか。
A: IOMは「移住」が絡むと何でもできる機関ですから、受益者への直接支援から、町のレジリエンスの強化、若者の就業支援まで、多種多様なプロジェクトやノウハウを有し、課題解決のために総合的に働きかけられるのが強みです。「ハンズオン」といって、自ら手を動かしてマネジメントに関与するのも組織的な特徴で、それがIOMで働く醍醐味です。日本はIOMにとって重要な資金提供国のひとつですから、日本人職員に求められる役割も大きいです。医療機器をはじめとする日本の高品質な製品や、日本の研究者の技術をニジェールで使えないかと奔走したりもしています。
Q:英語はもちろん、イタリア語にフランス語など、行く先々で現地で使用されている言語を学びたいとの思いが強いと聞いています。。そういったバイタリティの秘訣は何ですか?
A: 私はとにかく、人と会うのが大好きなのです。アフリカ生活が長いことによく驚かれますが、最初に本格的に暮らした外国であるイタリアで、日本とは違う慣習や物事の進め方には随分慣れました。ニジェールも7年目になりますが、現地の布地で衣類を作ってもらったり、自分で染め物をしたり、そこにしかない暮らしを楽しんでいます。
色彩豊かな柄物同士で組み合わせを考えるのが魅力だと語るアフリカ布 写真:本人提供
Q:国際機関を志す人に、メッセージをお願いします。
A:IOMは国連機関の中でも受益者と距離が近く、自ら手を動かして課題に取り組むやり甲斐を日々感じることができます。ニジェールの事例から、世界の「人の移動」にまつわる課題について関心を持ってもらえると嬉しいです。