フランス語を武器に、アフリカの紛争や災害の影響を受けた避難民の自立を支援

IOMカメルーン事務所

人道・開発・平和・ネクサス(HDPN)スペシャリスト

田本 さら茉(たもと さらま)


Photo:本人提供

Q:フランス語を強みに、国際開発や人道支援といったフィールドでキャリアを歩まれています。この道を目指したきっかけやを教えてください。

A: 私の両親は共に海外経験があり、幼い頃から外国での楽しかった思い出をよく話してくれました。一方で、TVや報道で見る開発途上国の映像には貧困や紛争など凄惨な状況が映っていて、そのギャップに違和感を拭えなかったことから、特にアフリカをこの目で見て、暮らしてみたいという思いが芽生えました。

実際に外国で働ける仕事を志し、大学卒業時には外交官の道を選びました。高校時代にはスイスのドイツ語圏に1年間留学していましたが、アフリカへの関心からフレンチ・スクールを選択。研修でフランス語を習得し、マダガスカルとハイチの大使館やアフリカ開発会議(TICAD)関連の業務に従事しました。特にハイチでは、国際連合開発計画(UNDP)や国際連合児童基金(UNICEF)といった国際機関との連携で、自然災害の影響を受けた地域において、小型の水力発電機を住民自ら建設・管理する事業を担当しました。地域住民の自立や自助努力を促し回復力(レジリエンス)を高め、課題を解決しながらコミュニティの力を向上するという一石二鳥、三鳥のようなコンセプトに感銘を受けました。

外務省での仕事にも強いやりがいがありましたが、国際協力のフィールドでの実際にニーズ分析からプロジェクト企画、実施まで直接率いていく仕事に憧れ、ドナーとして資金供与を検討する立場から、支援の担い手へのキャリアチェンジを決心しました。

 

Q: IOMについては、いつ、どのように知ったのでしょうか。

A: 国際機関で働く希望を叶えるため、外務省を退職し英国で大学院を修了後は、広島平和構築人材育成センター(HPC)が実施する「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」のプライマリーコースに参加しました。このプログラムで、国連システムについて研修で学ぶ中で、IOMのことを知りました。

 

Q:IOMで実際に働いてから感想を教えてください。

A: その直後からIOMに籍を置き約3年が経ちますが、今も最初に抱いた印象は変わりません。

まず、IOMの役割は移住に関する政策から実際に人を動かすオペレーションまで幅広く、常に学び続けられます。例えば、私は当初緊急支援に関心がありましたが、日々の実務の中で、紛争後に地域住民たちが自分の力で立ち直ることの重要性を目の当たりにし、今はコミュニティの回復力(レジリエンス)強化が一番の関心分野です。「移住(人の移動)」という切り口はあらゆる社会課題や人道支援のニーズに繋がっているので、あらゆる領域の仕事に挑戦でき、成長意欲が常に刺激される環境です。

また、事業のフロントラインで自分が持てる裁量が大きいとも思います。他の国際機関と比べ、IOMのスタッフが自らフィールドで業務にあたる機会が多いと感じます。

 

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Q:現在の仕事について聞かせてください。

A: 「人道・開発・平和・ネクサス(HDPN)スペシャリスト」のポジションは本当に広義で、JPOになってからの1年半ほどであらゆる仕事を経験させてもらいました。

カメルーンでは、国内避難民への緊急シェルター等の人道支援プロジェクトのほか、農民と牧畜民との衝突の影響を受けた村々での回復・自立支援、及び対立したグループの協働を促すプロジェクトを担当しています。

また、ボコハラムの元戦闘員らの武装解除(Disarmament)・動員解除(Demobilization)・社会復帰(Reintegration)・融和 (Reconciliation)の頭文字をとって、DDRRの活動にも携わっています。元戦闘員に加えて、武器は持たないが活動に加わっていた女性や子供を含めて「元関係者(ex-associate)」と呼ぶのですが、現地のDDRセンターで支援を受ける人々のうち、地域によってはその約三分の一が18歳以下の子どもたちです。ちょうど、カメルーン政府やUNICEFと、子どもたちの支援についてIOMがファシリテーションを担いワークショップを共同開催したところですが、全体の管理・監督を担うプロジェクトマネジメントの醍醐味も感じました。

カメルーン事務所は小規模拠点であるからこそ、主体的に現地政府との交渉から、新たな予算獲得の計画まで担いますし、受益者の顔を直接見る機会もあり、様々な業務上の筋力が鍛えられていることを実感します。

 

Q:外交官から国際機関に転じましたが、環境の変化に苦労したことはありましたか。

A: 私は主に日本で教育を受け、キャリアもスタートしたので、多文化環境での仕事のやり方に自分をフィットさせていくのには骨が折れます。常に「あなたはどう思うか?」を問われるので、エビデンスを用いてロジックを組み立てながらではっきりと伝えるのは体力のいる作業だと感じます。

これが日本人同士ならば、互いに前提を共有できている上で物事が進んでいくようなところ、直属の上司を含め、様々な国籍やバックグラウンドを持った人と一緒に働くので、自分の言葉できちんと主張して、自分の貢献を示していくことが求められると感じます。

 

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Q:フランス、マダガスカル、ハイチ、イギリス、セネガル、カメルーンと大学卒業後6カ国で生活されていますが、国を選ぶ時の理由や、印象的だった国について教えてください。

A: どの国にもいいところとそうではないところがありますが、不便さには慣れますし、嫌なことは時間と共に忘れていくので、振り返ればいい思い出ばかりです。

最初の任地であったマダガスカルは、辞令を聞いて何も知らないところからスタートしましたが、年間通して気候もよく、人も接しやすく、住めば都でした。次のハイチは、やはりネガティブな報道を目にする機会が多かったので、実際に現地の状況を見たいと思い希望したのですが、治安上、移動はすべて銃を携行した警備員と共にするなど、制限のある生活にも鍛えられました。セネガルは初めてのIOMでの仕事だったので、事業形成や政府機関との連携(Liaison)といった職務内容を見て、長期的な国連でのキャリアの役に立つと考えました。

現在のカメルーンは、職務内容と支援ニーズが自分の関心領域のど真ん中だったことが選択の理由です。日本の家族や友人と電話することがリフレッシュになるので、強いて言えば、カメルーンはこれまで暮らした国の中で最もインターネット接続が不安定なのが残念です。

 

Q:今後の展望について教えてください。

A:紛争や自然災害などのショックを受けた後の地域社会の自立支援を軸に、そのショックが紛争か自然災害かでIOMの対応も異なるので、一つひとつ勉強して専門性を磨いていきたいです。

基本的には、現場に近いところで働いていきたいのですが、地域事務所や本部で働く機会があれば、世界的な援助潮流や議論がどのようになっているか、その中でのIOMでのポジションはどう変わっていくか、どんなアプローチや戦略が求められていくかといった視点も培いたいです。

 

Q:国際機関を志す人に、メッセージをお願いします。

A:まず汎用的なスキルとして、「なぜ自分はそう思うか?」を言語化する力は有用だと思います。エビデンスがあって、それをロジカルに組み立てる思考の訓練と、多文化環境でそれを伝える技術は国際機関で働く際にとても役立ちます。

また、私は人の興味や関心は変化していくものだから、変化の局面で柔軟に変わることが出来る自分でいたいと考えています。アフリカで働くという夢は外交官として叶いましたが、その勤務を通じて人道支援の担い手になりたいと思い、今は紛争・災害後のコミュニティ支援の仕事をしています。

国際協力を志すならNGOなど他の選択肢もありますので、やりたいことのために選択肢を広く持って、自分を鍛えながら、どの場所が一番自分の関心に近いかを戦略的に選び取ることが重要だと思います。


■プロフィール

日本国内の大学を卒業後、外務省へ入省。フランス語圏を中心に、フランス、マダガスカル、ハイチの在外公館などで7年間以上に亘り勤務。より国際開発に特化したキャリアを志し、2019 年に外務省を退職し、英国の大学院で開発学修士号を取得後、赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表部でのインターンやIOMセネガル事務所でのUNVとしての勤務を経て、2021年度JPO試験に合格。22年2月より現職。