スーダン イエメンからの避難民支援に関わって 2015年6月

2015年6月
国際移住機関(IOM)スーダン事務所
東山慎太郎

はじめに - インターンからプロジェクト・オフィサーへ

2004年に大学を卒業後、民間企業、NGO、大使館勤務などを経て、2013年秋より大学院で平和構築・紛争予防について勉学中。2014年9月より、大学とIOMの協定に則り、インターンとしてIOM スーダン事務所に派遣される。6ヶ月の任期終了後、2015年4月よりプロジェクト・オフィサーとして、同事務所で引き続き業務を行っている。

第三国への避難民移送支援

内戦が激化しているイエメン及び周辺国において、IOMは同国に取り残された移民・避難民の母国(第三国)への帰国支援を実施している。支援内容は:

1. イエメンからハルツーム(スーダン)またはアジスアベバ(エチオピア)までチャーター便による移動
2. 右国内における、食事や宿泊施設の提供
3. 医療サポート
4. 入国及び出国に関る渡航書類を整えるサポート
5. ハルツームまたはアジスアベバから第三国への航空券の手配などの渡航手続き

IOMスーダン事務所では、4月12日から計7回の避難民支援オペレーション(以下、オペレーション)を実施し(5月28日現在)1000人近い避難民を支援している。なお、私は3回目のオペレーションより関っている。

以下は、私が初めて参加した4月28日のオペレーションに関して私的見解を記したものである。

イエメンからの避難民支援・オペレーション(4月28日)

ネパール バラビセで配布されたトタン板を受け取る被災者 ©IOM 20154月27日、上司よりオペレーションに参加するよう指示を受ける。4月12日及び14日に行われた、オペレーションについて参加した同僚から話は聞いていたので、概要は把握していたが、あまりにも突然で、しかも自身の担当している通常業務(開発、社会整備基盤、環境問題など)からかなりかけ離れていたため正直戸惑いは隠せなかった。しかし、そのような事を考えている暇もなく、直ぐに上司及びオペレーション・チームリーダー(以下、リーダー)からブリーフィングを受け、前回・前々回のオペレーション・ペーパーを読み込み、準備を行う。ただし、情報があまりにも少なく、不安を抱えたまま28日のオペレーション当日を迎えることとなる。

翌28日、ハルツームへのチャーター便の到着が13:40に設定されていたため、午前中は通常業務を行う。ただし、到着が遅れるとのメールが30分毎に届き、情報が錯綜し始め、通常業務に集中できない状況になる。

ネパール バラビセで配布されたトタン板を受け取る被災者 ©IOM 201515:45
到着は17:00頃になるとの報告が入ったため、再び遅延の懸念は残るものの、リーダーおよびIOMスタッフ(スーダン人)と共に空港へ赴く。ただし、リーダー(国際職員)と私に対する空港内施設への入館リクエストが空港に届いていなかったため、施設へ立ち入ることが出来ず、施設内の準備はスーダン人スタッフに任せ、私たちは施設外で待機することとなった。ちなみに、ハルツームでは40度以上の気候が連日続いており、エアコンの無い場所での待機である。

避難民の出身国大使館にもチャーター便の到着は17:00頃と連絡が入っていたため、16:30過ぎには関係者が集まり始め、リーダーと私とで対応を行う。しかし、到着時間の情報が錯綜し、結局到着時間(19:00)の確定が出来たのは18:00過ぎであった。この間、施設外で2時間以上の待機である。

その後、IOMオフィスから、スタッフ第2便が到着し、彼らと共に空港施設内に入り(入館許可が下りたため)、避難民の受け入れ準備を行う。到着予定の30分前(18:30)にようやく最終搭乗者名簿(避難民名簿)がメールで届いたが、空港内の規制により、コンピューターが使えない。そこで、私のスマホにファイルをダウンロードし、小さな画面を見ながら、搭乗者名簿を全て確認する。
スーダン オペレーション実施中に避難民の子どもたちと 左端が筆者 ©IOM 201519:00過ぎ
ようやくチャーター便が到着する、が到着と同時に、私たちが待機していた空港施設の隣から火災が発生(原因不明)。IOMスタッフ及び関係者一同は、空港施設から一時緊急避難することとなる。15分ほどして火災は鎮火し、施設内に戻り、大急ぎで避難民の出迎え作業を整える。

空港でのIOMの具体的な業務は、搭乗者名簿と到着した避難民のパスポートとの照合、IOM所属のドクターによる検診、ハルツームから先の第三国への渡航手配、すぐに出発しない避難民を宿泊施設に送る、などであった。

本オペレーションでの私の役回りは、「歩き回る事」であった。空港施設はいくつかのエリアに分かれており、IOMスタッフが配置され、各々の業務を行っている。私はそのエリアを歩き回り、オペレーションの進み具合を俯瞰的に洞察し、自身で対応または適宜リーダーに相談し、対策を協議する。

21:00過ぎ
ようやくオペレーションが終了する。ただし、22:00過ぎまで空港に残り、スタッフと残りの作業及び簡易なブリーフィングを行う。その後、IOMオフィスに戻り、メールを確認すると、サヌア空港(イエメン)(5時間前に本オペレーションで利用した機体が離発着した空港)の滑走路が空爆の被害を受け、使えない状況にあり、翌29日から予定していたオペレーション(4月29から5月1日まで;28日を含め、計4便を予定していた)が全てキャンセルになったとの報告を受ける。リーダーと当日のオペレーション内容及び今後の改善点等に関して意見の交換を行い、翌日主要スタッフ間でブリーフィングを行うことを確認し、帰途につく(24:30帰宅)。

その後

5月8日、戦闘が続くイエメンで12日夜から5日間の人道支援目的の停戦を開始すると発表され、同日、新たなオペレーションの日程(12日から18日まで)が届けられた。

前回同様、様々なハプニング・問題に直面しつつも、4日間で500名以上の避難民(国籍:19カ国)を支援し、彼らの母国・避難国への帰還を見届けることが出来た。

現地職員の役割

今回のような緊急支援活動を行う上で要となるのは、やはり現地職員の働きである。多くの避難民の母国語(アラビア語)で対応でき、また隣国と言うこともあり、文化や「人」を知っているのは大きく、彼らの尽力なしでは活動の成功はありえない。

私はオペレーションの前後ならびにオペレーション中も、彼らと会話することを心がけた。たわい無い話や冗談を交えつつ、彼らと時間を共有することで、オペレーションを通じて、チームとしての一体感が生まれたと感じている。

自身の役割

4月28日のオペレーションでは、私を含め計5名の国際職員が配置されていたが、5月13日からは、3名の国際職員でオペレーションに対応することとなった。私がシニアスタッフとなった事で、現地職員から対応を求められたり、オペレーションに直接指示を出す事となった。最初の「歩き回る事」に加え、上記の対応ならびに「避難民名簿と搭乗者記録の確認」「写真撮影・広報」「出迎えに来ている避難民の出身国大使館職員へのリエゾン」そして、「避難民との対話」が加わった。

「避難民との対話」は自身の中で非常に重要だと感じた。多くの避難民は今まで築き上げてきた生活基盤を全て捨て、新しい場所での生活習慣や言葉の違いなどに対して不安を抱えている。母国(出身国)に帰る者もいるが、イエメンに出稼ぎに出ていた者も多く、帰国して職がない状態でどうやって家族を支えていくのか、不安を隠せずにいる者もいた。そういった不安を抱えている避難民に声をかけて回り(多くの場合は言葉が通じなかったが、身振り手振りで)、彼らが「声」を発せられるように気を配った。

そんな中、多くの子どもたちが燥いでいる空間に、私はなんの不安の色も見せず、とても静かに座っている一人の女の子を見つけた。子供が子供らしくないときは注意が必要である、と過去の経験から学んでおり、私は急いでIOM所属のドクターを呼び治療に当たってもらった。長時間にわたり、食事の摂取を行っていなかったほか、水分補給も十分でなかったため、かなりの疲労が溜まっていた様子である。その後、少しずつ落ち着きを取り戻し、最後には笑顔になってくれたので、一安心であった。

今後に向け

これまで計5回のオペレーションに関り、戸惑いは多々あったが、多くの事を学ぶことができた。ただし、勝手は随分わかってきたつもりではあるが、当日現場に行ってみないと分からないことが殆どであり、今後どのようにオペレーションを組み他立てていくのか、思案中である。

「一人でも多くの避難民に笑顔を」これが私の小さな目標である。