ネパール地震後の緊急支援 その2 2015年8月

2015年8月13日
国際移住機関(IOM)ジュネーヴ本部
大野 拓也

前回の投稿(2015年5月)より時間がたったが、以下に書ききれなかっことを記す。

2回目の大規模な震災(5月12日)後も余震が続き、私も含めて仕事に集中しづらいスタッフが多かった。事務所の建物には揺れを感知する地震アラームがつき、警報が鳴るごとに建物の外に出ること(多い時で一日当たり5回)も、集中力を阻害する一因となった。

最初の地震がカトマンズの西側のゴルカ郡で起こったのに対し、2回目の地震はカトマンズの東側ドラカ郡を震源に起こった。まず支援団体が多く集まったゴルカ郡がシェルター支援が先行したのに対し、ドラカ郡や被害者数の最も多かったシンドゥパルチョーク郡は2回目地震の影響を受けて再び緊急支援の後、シェルター支援は数週間遅れて始まった。

7) 職員採用

国際職員の採用と共に、現地でのネパール人職員の採用が始まる。どんな人材がどこに必要か、予算を取って、TOR(職務内容)を用意し、新聞広告を出し、集まった履歴書に目を通し、面接を行う。言葉にすると簡単だが、人事担当者に説明したり、必要書類の作成や部署間での調整等、そして予定の合間を掻い潜っての面接作業は骨が折れた。現場事務所を含めて10人採用するのに、既に人事がショート・リストした100名を超える履歴書に目を通し、そこから25名を面接した。生誕年に2038年とか2044年と記入されているので、えらい間違いやなと思っていると、ネパール独自の暦(ビクラム暦)であった。経験上、すぐに働ける(immediately available)候補者は、何か事情があることが多いので、普段は採用しないのだが、面接に来た候補者のほとんどがすぐに働けるということなので、今回は3ヶ月の見習い期間を経て、契約期間を延ばすかどうかは後任者に判断してもらうことにした。

IOMネパール事務所が実施している難民の第三国再定住事業が震災後1ヶ月間事業休止されたこともあって、採用者が事務所で働き始まるまではその事業に勤務するネパール人職員に応援を頼んだ。

8) 食べ物

急支援時には、MRE (Meal, Ready-to-Eat)という非常食が配布される。栄養ビスケット(乾パン)だけでなく、水や湯を入れて食べるパスタやお粥など味はそれぞれだが、活動する分には申し分ない。

震災直後には休業していた店も被害が少なかった地域では次々と営業を再開し、時間の余裕があると温かい食事を求めて店に入った。どこの国に行っても気になるのが、そこでの日常食である。カトマンズではMomo(モモ)という餃子に似たような、というかそのものを出す定食屋が街角に多く、しかも1皿100ルピー(約120円)というとても良心的な値段。その10倍を支払ってもきちんとした昼食にはなかなかありつけないジュネーヴから来た身としては嬉しい限りであった。他のメニューにあったカレーやビリヤニなどにスリランカ赴任時代を思い出し、アジア地域に帰ってきたなあと懐かしく感じた。カトマンズでは日本食のお店へ仕事帰りによく立ち寄り、翌日への精気を養った。

 

9) データ

被害の状況を把握する上で欠かせないのが、死者数、負傷者数、被害家屋数、その地区別ごと等々のデータ。役所の人々も被災しているので、数字が出てくるまで時間が必要なのは仕方がない。そのうち推定値は出てくるのだが、それがどこの出典か、信憑性があるかなどの疑問をいつも持ちながら必要に応じて引用する。2015年7月12日のネパール内務省の発表によると、死者8,856名、全壊家屋604,930棟、半壊家屋288,856棟となっている。

震災後1ヶ月を過ぎる頃から、前回触れた5W(どの団体が(Who)どの地区で(Where)何を(What)いつ(When)誰に対して(Whom)支援をするか)の取りまとめの重要性が顕著に表れてくる。批判が出てくるのもちょうどこの時期が多い。支援国政府は各支援団体ではなく、ネパール政府に直接入金するようにとの意見が出る。自分でも1ヶ月間何をやってきたのかと思い出せないぐらいがむしゃらに行動してきたが、それが成果として表せないと組織で生き残っていくのは難しい。

私的な意見になるが、緊急支援ではすぐに評価・成果が出にくいこともあり、現場では口達者な人・文才のある人が短期で派遣される傾向にあり、彼らの言動に翻弄される日々に苦労した。こちらの発言が終わらないうちに彼らの意見を被せて畳み掛ける議論の仕方には(これは緊急支援に限らないが)、私の平常心を保つのに苦労した。

 

10) IOMの活動

私の滞在中に配布予定だったシンドゥパルチョーク郡バラビセでの仮設住居の材料配布は、予定通りには行かなかったものの、私が本部に戻った直後に無事配布された。この配布予定期間には、バラビセへの幹線道路に雨による土砂崩れが起こり、配布がしばらく中断され、思うように行かない大自然のはたらきを感じた。バラビセでは震災直後から5月中旬にかけて日本政府の医療班が活動しており、IOMは同地区での日本政府支援の継続の一端を担った。ネパール滞在中には公になるならないに関わらず、広報活動の一環として日本からのメディアの要望にも応じた。

IOMネパールでは、建設資材の配布支援、住宅再建を行う被災者へ役所技術者と共に助言するセンターの設立などのシェルター支援のほかに、IOMがクラスターをリードするキャンプ調整・運営(CCCM)チームによる安全な避難所先の確保や、医療スタッフによる病院から退院する被災者への移動・滞在先支援、被災した公共建築物の瓦礫処理等を行っている。

11) おわりに

約2ヶ月間の滞在で、緊急支援がどのように始まり、復興へ向かって進んでいくかを目の当たりにすることができ、今後の活動への貴重な経験となった。学校が始まり、住居の周りに洗濯物が干され、食事の準備の匂いが漂ってくる、そういった日常を人々が取り戻していく光景を見ると、よかったと正直に思える。

過去にスリランカ、ケニア、ハイチ、イラクや本部で一緒に仕事したり、会ったことのある人々・同僚らに予期せず会った。8年ぶりの再会もあれば、昨秋にイラクで再会したばかりの人との再々会もあった。時期に限らず、一度仕事をしていると、お互いが知れているので非常にやり易かった。

ネパールの外に出て改めて、本部や地域・調整事務所、そして各政府・団体のサポートを強く感じ、彼らに感謝する。次の災害が起こるまでは、私も後方支援スタッフとして活動を続けていく。

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